« はじめたばかりの浄土真宗 (インターネット持仏堂 2) | メイン | 史上最弱のブロガー »
『文學界』 1月号ーX月号 文藝春秋 2005年1月ー
投稿者: uchida 日時: 2005年03月30日 10:24 | パーマリンク
深い興味を持って読みました。終りの数節、とくに「結語」は、すばらしいの一語です。理解は困難だが、それはフランスの哲学者などの異様な難解さではない。文は平易なのだが、中味自体がきわめて難しいのだ。そして、そのことが「すばらしい」。 ところが、今のイスラエルのユダヤ人の異様な悪逆は、目も当てられない有様だが、このことは、内田さんはどうお考えですか?このあいだも、極度の反感からなのか、「ヒトラーが全部殺しとけばよかったんだ!」という反ユダヤの激語を聞きました。 ぜひ教えてください。
投稿者: fujika | 2006年08月08日 14:37
日時: 2006年08月08日 14:37
深い興味を持って読了しました。すばらしいの一語です。 終りの数節、特に結語は、理解は困難だが、実にいい。フランスの現代思想家の異様に難解な文章とはまったく違っていて、平易な文で深奥なことが語られている。たとえすぐには分からなくても、深く心が満たされている。若い時にいい詩を読んだときのように。 そこで質問があります。かくも優れた信仰を持つユダヤ人の国家イスラエルのあの惨状はどうしたのですか?(最近耳にした日本人の激語ー「ヒトラーがユダヤ人を全部ぶっ殺しとけばよかったんだ!」)
投稿者: fujika | 2006年08月08日 14:51
日時: 2006年08月08日 14:51
ヒズボラとイスラエルの戦闘のさなかにこの本を買い、昨日電車の中でようやく読み終わりました。理由は分かりませんが、ちょっと涙ぐんでしまいました。難しい内容の文章(とくに後半)を行きつ戻りつしながら、読みすすみ、納得しながら進む作業がようやく完了したからかも。 これまでに読んだ、この分野に関する本は問題設定が明確でも、途中でわけが分からなくなるか、用語の中身があいまいなために、文全体の意味もあいまいなまま、とりあえず先に進むことが多かったので、いつも消化できずに排泄されていました。 この本は最初から最後まで面白かった。これには驚きました。 印象に残ったのは、レヴィナスとサルトルのユダヤ人論の比較。そして、神は人に代わって責任を引き受けることが出来ないこと、まだ起こっていないことについても、義務を負い責任を引き受けるべきと意識する人々がいることでした。また、人がただ存在することが権利証と考える人間と「この場所に受け入れられることを証明」すべく運命付けられている人間には、大きな意識の乖離があるという指摘にも深い感銘を受けました。 いま世界で事件が起こるたび、マスコミに登場する人々が示す反応は、まさしく存在証明を必要としないかのように安定した 視座からのコメントであり、この世界のプロセスへの深い不安を感じることはあまりありません。ヒューマニズムとは何かという問題もそこに関わってくるように思います。 この本を出版してくださったことに感謝の気持ちを述べたくて、書き込みました。ありがとうございました。
投稿者: Oka | 2006年09月10日 12:01
日時: 2006年09月10日 12:01
何かの技術的ミスだと思いますが、私のコメントに別な投稿者の名前が入っています。この前のコメントを、念のため私のものとして繰り返させていただきます。
ヒズボラとイスラエルの戦闘のさなかにこの本を買い、昨日電車の中でようやく読み終わりました。理由は分かりませんが、ちょっと涙ぐんでしまいました。難しい内容の文章(とくに後半)を行きつ戻りつしながら、読みすすみ、納得しながら進む作業がようやく完了したからかも。 これまでに読んだ、この分野に関する本は問題設定が明確でも、途中でわけが分からなくなるか、用語の中身があいまいなために、文全体の意味もあいまいなまま、とりあえず先に進むことが多かったので、いつも消化できずに排泄されていました。 この本は最初から最後まで面白かった。これには驚きました。 印象に残ったのは、レヴィナスとサルトルのユダヤ人論の比較。そして、神は人に代わって責任を引き受けることが出来ないこと、まだ起こっていないことについても、義務を負い責任を引き受けるべきと意識する人々がいることでした。また、人がただ存在することが権利証と考える人間と「この場所に受け入れられることを証明」すべく運命付けられている人間には、大きな意識の乖離があるという指摘にも深い感銘を受けました。 いま世界で事件が起こるたび、マスコミに登場する人々が示す反応は、まさしく存在証明を必要としないかのように安定した 視座からのコメントであり、この世界のプロセスへの深い不安を感じることはあまりありません。ヒューマニズムとは何かという問題もそこに関わってくるように思います。 この本を出版してくださったことに感謝の気持ちを述べたくて、書き込みました。ありがとうございました
投稿者: Oka | 2006年09月10日 15:04
日時: 2006年09月10日 15:04
(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)
名前:
メールアドレス:
URL:
この情報を登録しますか?
コメント:
2005年03月30日 10:24に投稿されたエントリーのページです。
ひとつ前の投稿は「はじめたばかりの浄土真宗 (インターネット持仏堂 2)」です。
次の投稿は「史上最弱のブロガー」です。
他にも多くのエントリーがあります。メインページやアーカイブページも見てください。
コメント (4)
深い興味を持って読みました。終りの数節、とくに「結語」は、すばらしいの一語です。理解は困難だが、それはフランスの哲学者などの異様な難解さではない。文は平易なのだが、中味自体がきわめて難しいのだ。そして、そのことが「すばらしい」。
ところが、今のイスラエルのユダヤ人の異様な悪逆は、目も当てられない有様だが、このことは、内田さんはどうお考えですか?このあいだも、極度の反感からなのか、「ヒトラーが全部殺しとけばよかったんだ!」という反ユダヤの激語を聞きました。
ぜひ教えてください。
投稿者: fujika | 2006年08月08日 14:37
日時: 2006年08月08日 14:37
深い興味を持って読了しました。すばらしいの一語です。
終りの数節、特に結語は、理解は困難だが、実にいい。フランスの現代思想家の異様に難解な文章とはまったく違っていて、平易な文で深奥なことが語られている。たとえすぐには分からなくても、深く心が満たされている。若い時にいい詩を読んだときのように。
そこで質問があります。かくも優れた信仰を持つユダヤ人の国家イスラエルのあの惨状はどうしたのですか?(最近耳にした日本人の激語ー「ヒトラーがユダヤ人を全部ぶっ殺しとけばよかったんだ!」)
投稿者: fujika | 2006年08月08日 14:51
日時: 2006年08月08日 14:51
ヒズボラとイスラエルの戦闘のさなかにこの本を買い、昨日電車の中でようやく読み終わりました。理由は分かりませんが、ちょっと涙ぐんでしまいました。難しい内容の文章(とくに後半)を行きつ戻りつしながら、読みすすみ、納得しながら進む作業がようやく完了したからかも。
これまでに読んだ、この分野に関する本は問題設定が明確でも、途中でわけが分からなくなるか、用語の中身があいまいなために、文全体の意味もあいまいなまま、とりあえず先に進むことが多かったので、いつも消化できずに排泄されていました。
この本は最初から最後まで面白かった。これには驚きました。
印象に残ったのは、レヴィナスとサルトルのユダヤ人論の比較。そして、神は人に代わって責任を引き受けることが出来ないこと、まだ起こっていないことについても、義務を負い責任を引き受けるべきと意識する人々がいることでした。また、人がただ存在することが権利証と考える人間と「この場所に受け入れられることを証明」すべく運命付けられている人間には、大きな意識の乖離があるという指摘にも深い感銘を受けました。
いま世界で事件が起こるたび、マスコミに登場する人々が示す反応は、まさしく存在証明を必要としないかのように安定した
視座からのコメントであり、この世界のプロセスへの深い不安を感じることはあまりありません。ヒューマニズムとは何かという問題もそこに関わってくるように思います。
この本を出版してくださったことに感謝の気持ちを述べたくて、書き込みました。ありがとうございました。
投稿者: Oka | 2006年09月10日 12:01
日時: 2006年09月10日 12:01
何かの技術的ミスだと思いますが、私のコメントに別な投稿者の名前が入っています。この前のコメントを、念のため私のものとして繰り返させていただきます。
ヒズボラとイスラエルの戦闘のさなかにこの本を買い、昨日電車の中でようやく読み終わりました。理由は分かりませんが、ちょっと涙ぐんでしまいました。難しい内容の文章(とくに後半)を行きつ戻りつしながら、読みすすみ、納得しながら進む作業がようやく完了したからかも。
これまでに読んだ、この分野に関する本は問題設定が明確でも、途中でわけが分からなくなるか、用語の中身があいまいなために、文全体の意味もあいまいなまま、とりあえず先に進むことが多かったので、いつも消化できずに排泄されていました。
この本は最初から最後まで面白かった。これには驚きました。
印象に残ったのは、レヴィナスとサルトルのユダヤ人論の比較。そして、神は人に代わって責任を引き受けることが出来ないこと、まだ起こっていないことについても、義務を負い責任を引き受けるべきと意識する人々がいることでした。また、人がただ存在することが権利証と考える人間と「この場所に受け入れられることを証明」すべく運命付けられている人間には、大きな意識の乖離があるという指摘にも深い感銘を受けました。
いま世界で事件が起こるたび、マスコミに登場する人々が示す反応は、まさしく存在証明を必要としないかのように安定した
視座からのコメントであり、この世界のプロセスへの深い不安を感じることはあまりありません。ヒューマニズムとは何かという問題もそこに関わってくるように思います。
この本を出版してくださったことに感謝の気持ちを述べたくて、書き込みました。ありがとうございました
投稿者: Oka | 2006年09月10日 15:04
日時: 2006年09月10日 15:04